天秤将棋ができるまで

布石将棋のAIを鍛えたら、先手が6割勝った。ルールの文面をいじって50%を探すのをやめ、対局者自身に釣り合わせてもらう形に落ち着くまでの話。

天秤将棋そのものは 案内のページから、このサイトでそのまま対局できる。

1. 先手が勝ちすぎる

布石将棋は、空の盤に交互に20枚ずつ打ってから指し始める変則将棋で、初期配置は1通りではなく約 1037 通りある。研究され尽くした感じのしない将棋が欲しくて、ブラウザで指せるAIを作った。布石を打つAI(ニューラルネット)を自己対局で鍛え、41手目からはやねうら王に指させる。

鍛えているうちに、先手の勝ちすぎが目についた。世代を重ねても、この数字は下がらない。調べてみると、これは布石将棋に限った話ではなかった。

人間のプロ公式戦52〜53%布石将棋のAI(学習の対局)62%コンピュータ将棋 2023年決勝68%コンピュータ将棋 2026年決勝91%電竜戦 上位4チーム94% 0% 50% 100%
先手の勝率。破線が五分。人間のプロ同士ではわずかに勝ち越す程度だが、AI同士では強いほど先手が勝つ。布石将棋の値は学習の対局 10,767 局から。

同じ大会でも、予選より決勝のほうが高い。先手の利は指す側の強さに応じて大きくなり、先手の持ち時間を削るハンデをつけても埋まっていない。

2. ルールの文面では直らない

最初は規則の文面で直そうとした。初手を端歩に限る、駒同士の当たりが生じない配置に限る、置ける段を減らす。測って効いたのは、本将棋の形に寄せた案(三段目までに置き、歩を三段目に並べる)だけで、それでも先手はまだ勝ち越していた。

試したルール先手勝率備考
現行(四段目まで・20枚)62.1%学習済みの布石AI
駒同士の当たりを禁じる62.4%効かなかった
三段目まで・15枚59.4%ランダム配置
三段目まで+歩を三段目に並べる53.8%ランダム配置。最も効いた

当たりを消しても段を変えても、先手の利の本体はほとんど動かない。残るのは手番そのものの価値で、これは盤の形ではなく指す側の強さで決まる。ある強さで釣り合って見えるルールは、別の強さでは外れる。

チェスも白が有利だが、上位ほど引き分けが増えて、その幅が先手の利を吸収する。将棋は持ち駒があって引き分けがほとんど無いので、この逃げ道が無い。手元の環境で50%になるルールを見つけても、最新のAIで同じ値になる保証はどこにもない。固定したルールは、強さに追従しない。そう分かったので、数字探しはここでやめた。

ややこしいことに、同じエンジンで読みを深くすると本将棋の先手勝率は下がった(200k ノードで 54.0%、1M ノードで 50.1%)。大会で数字が上がっているのは、探索の深さより定跡と評価関数の進歩によるところが大きいのだと思う。どちらにしても、こちらで測ったルールが向こうでも成り立つとは言えない。

3. 置く人と、選ぶ人

強さによらず釣り合う仕組みとして知られているのは、一方が二つに分けてもう一方が先に取る方式(pie rule)くらいしかない。ケーキを二人で分けるときのやり方で、Hex や五目並べで使われている。五目並べの Swap2 は、先攻が黒黒白の3子を置いて後攻が色を取る手順で、先手 67% を約 52% まで下げている。

布石将棋にそのまま当てはめると壊れる。布石を終えてから「どちらの陣を取るか」を選べるようにすると、選ぶ側は自分の陣をわざと弱く築いて相手の陣を取ればよい。分ける人と取る人が同じになってしまう。以前に検討したときは、この理由で見送っていた。

今回は、布石の冒頭に手順をひとつ足せば、玉を置く・先後を選ぶ・陣を築くの三つを別々の役に割れると考えた。

天秤将棋で足した手順 1 両玉を置く 置く人。自分がどちらを持つかは、まだ決まっていない 2 先後を選ぶ 選ぶ人。陣はまだ一枚も無い 3 19枚ずつ、交互に置く 先手から。ここは布石将棋のまま 4 41手目から指す ふつうの将棋
足したのは冒頭の二手だけで、残りは布石将棋のまま。

置く人は自分がどちらを持つか知らないので、片方に寄せる理由が無い。選ぶ人はまだ陣を築いていないので、手を抜く余地が無い。先手の利は、置く人が先手玉を少し悪いマスに置くことで、毎局その場で打ち消されることになる。

天秤の片方に先手の利、もう片方に玉の堅さの差が載り、置く人はそれを釣り合わせるしかない。それでこの将棋を天秤将棋と呼ぶことにした。英語では Balance Shogi である。

4. 玉だけで足りるか

玉だけで足りるかどうかは、玉の置き場に先手の利を打ち消せるだけの幅があるかで決まる。これは測れるので測った。先手玉36マス × 後手玉36マスの組それぞれについて、両玉を置いた局面から布石AIに残りを置かせ、41手目の局面を採点する。

玉のマスの価値(勝率ポイント、先手から見た値)。左が先手玉、右が後手玉。正なら先手に有利、負なら後手に有利。公開している表 king_pairs_iter2455_games.json から描いている。

自陣の四段目(相手に最も近い段)に玉を置くと大きく損をし、隅の最下段がいちばん良い。最良の組と最悪の組の差は 95 ポイントあり、先手の利の何倍もある。玉だけで釣り合わせても、まだ余裕がある。サイトのAIは、置く人も選ぶ人もこの表を引いて判断している。

5. 釣り合いを、どう測るか

ここで長く間違えていた。置く人の勝率を見ていたのである。それが50%に近ければ釣り合っている、と考えていた。

これでは測れていない。置く人の成績は、相手の選び方の出来で簡単に動く。選ぶ人が下手なら置く人は勝ち越すし、上手ければ負け越す。実際、置く人の勝率がいちばん50%に近く見えた表が、三つ試したなかで最も付け込まれやすい表だった。

正しい問いは「最善を尽くす選ぶ人に、どれだけ持っていかれるか」である。玉の組をひとつ渡された選ぶ人がすることは、実のところ一つしかない。

玉の組をひとつ渡されたときの、先手勝率 30%40%50%60%70% 選ぶ人が取るぶん この組
渡された組の先手勝率が五分からどちら側に、どれだけ離れているか。選ぶ人はその符号を見て、有利な側を取るだけでよい。

選ぶ人は離れているぶんをそのまま取る。置く人が何をしようと、この距離は動かない。釣り合いとは、この距離を小さくすることだった。置く人の勝率は、その道具としては使えない。

6. 物差しを直す

そう決めて測り直すと、置く人が渡していた組は釣り合っていなかった。

原因は玉の幾何ではなく、表が使っていた物差しにあった。41手目の局面をエンジンの評価値で採点し、それを勝率に換算していたのだが、その換算式に根拠が無かった。実際の勝敗と突き合わせて較正すると、換算は先手をずっと高く見ていた。傾きはこれで直った。

それでも、組ごとのばらつきは残る。採点はしょせん代用品で、釣り合いを直接見ているわけではない。そこで採点をやめ、数万局の実対局そのものを表の値に据えた。候補を実際に対局させ、五分に近い順に48組を選び直す。

表の予測で選んだ48組 五分からの偏り 平均 6.6pt 実対局で選び直した48組 同 3.1pt 30%40%50%60%70%
点ひとつが玉の組ひとつ。横軸はその組の実際の先手勝率で、破線が五分。どちらも48組ずつ、1組あたり600局以上を指させて測っている(2026年9月)。上の帯は表が「釣り合う」と予測して選んだ組で、実際には左右に散っていた。

選ぶ人が取れるのは、点が破線からどれだけ離れているかだった。散らばりが半分以下になれば、取り分もそのぶん減る。

選び直した48組は、選別に使ったのと同じ対局で測った値なので、良く出る側に偏った上限である。同じ標本で選んで同じ標本で測ると、実際より釣り合って見える。新しい対局での確認を続けている。

7. 置く人は勝てない

この機構には、測る前から分かっている天井がある。

有限で、偶然がなく、双方が盤面を全部見ているゲームは「決定的」である(Zermeloの定理、1913年)。先手必勝・後手必勝・双方が引き分けに持ち込める、のどれか一つが必ず成り立つ。どれかは分からなくても、どれかであることは分かる。

玉の組をひとつ固定すれば、そこから先はふつうの完全情報ゲームなので、その組の値も三つのどれかに定まる。そして選ぶ人は、値を見て勝てる側を取る——先手勝ちの組なら先手を、後手勝ちの組なら後手を。置く人にできるのは引き分けの組を探すことだけで、勝つ道はどこにも無い。

つまり完全に解析された天秤将棋の値は「引き分け」か「選ぶ人の勝ち」のどちらかで、置く人の勝ちだけは起こりえない。同じ機構を持つ Hex には引き分けが無いので、選ぶ人の必勝が証明として決着している。将棋には千日手と持将棋があるぶん、「引き分け」の可能性が残っている。

これは設計の失敗ではなく、逃れられないことである。通常将棋も、もし先手必勝なら振り駒が勝敗を決めていることになる。目指せるのは値を消すことではなく、現実の棋力で差が見えないことだ。天秤将棋の仕事は、置く人が渡す組の偏りを、人にもAIにも見分けられないところまで小さくすることに尽きる。表の精度が、そのまま公平さの上限になる。

最新のAIでは先手の利がもっと大きい。玉だけで足りなくなったら、置く駒を玉と飛に広げる余地がまだある。

8. 二飛香を加える

2026年9月13日、天秤将棋の布石に禁じ手を一つ加えた。飛と香は、自陣の同じ筋に合わせて1枚までしか打てないというもので、二飛香(にひきょう)と名付けた。布石将棋のほうは変えていない。

きっかけは布石AIの棋譜だった。飛と香2枚を同じ筋に縦に重ねる「3連ロケット」が、支配戦略になっていたのである。最新のAIでは陣の55.7%がこれを組み、相手が何も組まない局では、組んだ側の勝率が11.4ポイント高かった。相手が組んでも組まなくても組んだほうが勝つので、学習を進めても廃れない。

強さの芯は香2枚で、飛の無い香香でもほぼ同じだけ勝つ。ただ、香だけを禁じるとAIは飛と香1枚の形へ移り、そこにも価値が残る見立てだった。改定を1回で済ませるため、飛も数えることにした。駒の当たりのように、受けを用意すれば対処できる形は禁じていない。消したのは、同じ筋に縦に走る駒を重ねる形だけである。

ここまでに書いた両玉の表と測定は、どれも二飛香を加える前のルールで取ったもので、測り直していない。布石AIも旧ルールで学習したまま、反則になる手を除いて打っている。

出典